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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)6600号 判決

被告 静岡相互銀行

理由

(一)  被告が相互掛金の受入、預金、および定期積金の受入、資金の貸付、手形割引等の業務を営んでいる相互銀行であること、被告がその東京支店において、森田房子こと森田房を昭和二九年頃より昭和四一年二月まで渉外係として雇傭し、預金の獲得、集金、得意先の拡張等の業務に従事させていたことは、当事者間に争いがない。

(二)  証人森田房、同遠藤孝の証言を合わせ考えると次の事実が認められる。

森田房が前記の同人の職務を行なうについては、預金者から現金を受領するのみでなく、小切手を受領し、あるいは、満期に支払われた場合にこれを預金にするという趣旨で被告に取立委任をした手形を受領するということを行つていたものであり、さらに、その職務の履行に附随して、被告へ預金をする反面、被告からの貸付を希望する者との間で、被告の貸付担当者の意を受けて貸付条件等について交渉すること、および被告との間で割引契約が成立した手形を、割引依頼人から受領するということも行つていた。

右のように認められるのであり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  《証拠》を合わせ考えると、次の事実が認められる。

(1)  原告は日本エレベーターの下請を主たる営業としており、その経理、会計事務は、代表者の妻である田中孝子が担当し、日本エレベーターから支払いのために振出しを受けた約束手形を満期前に換金する必要がある場合には、原告代表者の兄が経営している会社で換金(割引)してもらつていた。田中孝子は天真教会という宗教団体に入会していたところから、同じく右教会に入会していた森田房と昭和三四、五年頃から知合うようになり、森田の勧誘で、田中孝子、夫の田中秀雄、原告の従業員宮下某等の名義で、被告の東京支店に定期積金、定期預金等をするようになり、昭和四〇年一二月頃には、その合計が約五三〇、〇〇〇円位になるようになつた。昭和四〇年七月頃、原告代表者の兄が病臥するようになつたため、原告はそれまでのように日本エレベーターから振出しを受けた約束手形を原告代表者の兄が経営している会社で換金してもらうことが困難となり、資金繰りに困るようになつたので、原告の経理を担当していた田中孝子が同年八月頃に森田に、右の事情を話して相談したところ、森田が、前記の田中孝子、田中秀雄ら原告関係者の個人名義で被告の東京支店になされている定期積金、定期預金等を担保にすれば、被告の東京支店で原告に対する手形の割引をする旨の回答をしたので、これを信用した田中孝子は、その頃、原告が日本エレベーターから振出しを受けた金額四〇〇、〇〇〇円、満期同年一一月中旬頃の約束手形に原告の裏書をし、被告の東京支店で割引いてもらう趣旨で、これを森田に交付したところ、約一週間ないし一〇日後に、森田から右約束手形の割引金として、正規の金融機関における通常の割引料を控除した金額に相当すると考えられる額の金員の交付を受けた。

(2)  田中孝子は右の約束手形が被告の東京支店で割引かれたものと考えていたので、再び被告の東京支店で割引を受けようと考え、同年一一月下旬頃、別紙手形目録(一)、(二)、(三)記載の約束手形三通を、被告東京支店で割引いてもらう趣旨で森田に交付した。森田は右各約束手形が右の趣旨で交付されたものであることを知りながら、そのうち別紙手形目録(一)記載の約束手形は、被告の東京支店と手形取引契約を結んでいた浅井美術印刷株式会社に依頼して、右会社が被告の東京支店で割引を受けるという形式をとつて、その割引を受け、別紙手形目録(二)、(三)記載の約束手形は知合の金融業者で割引を受け、同年一二月二四日、田中孝子に対して、別紙手形目録(一)、(二)記載の約束手形の手形金額計五〇〇、〇〇〇円から、各満期までの日歩二銭三厘ないし二銭五厘の割合による割引料相当額を控除した金員のみを交付し、残余の割引金の支払いを暫く猶予してほしいと申入れて、田中の承諾を得、その後昭和四一年二月八日、田中孝子に対して、右割引金残額の内金として一〇〇、〇〇〇円を交付した。

(3)  森田は、右のとおり昭和四〇年一二月二四日に田中孝子に対して割引金を交付した際、夫の病気等のため、預金獲得の成績が挙がらないので、成績を挙げるため、現金に限らず、手形でもよいから預けてほしい旨を依頼した。田中はこれを信用して、翌一二月二五日、将来割引いてもらうか、または取立てをしてもらうまでは、被告の東京支店において保管することを委託する趣旨で、別紙手形目録(四)、(五)記載の約束手形二通を森田に交付した。森田は右各約束手形が右の趣旨で交付されたものであることを知りながら、その頃、右各約束手形を知合の金融業者で割引を受けた。

(4)  別紙手形目録(一)、(二)、(三)記載の各約束手形は、原告以外の所持人によつて、いずれもその法定の支払呈示期間内に呈示がなされ、振出人である日本エレベーターによつて、その支払いがなされた。別紙手形目録(四)、(五)記載の各約束手形も、原告以外の所持人によつて、いずれもその法定の支払呈示期間内に呈示がなされた。当時既に、前記のとおり森田が原告の委託の趣旨に反して、右各約束手形を他で割引を受け譲渡したことが発覚していたので、原告は振出人である日本エレベーターに依頼して、右各約束手形が詐取されたものであることを理由として、その支払いを拒絶してもらつた。しかし前記のような森田が右各約束手形を譲渡するに至つた経緯を知らない善意の第三者たる右各約束手形の所持人に対しては法律上右各約束手形の支払いを拒絶し得ないものであるので、昭和四一年六月八日、原告の代理人である田中孝子も立会つて、別紙手形目録(四)、(五)記載の約束手形の各所持人の代理人であるという前裕祐なる者と振出人である日本エレベーターとの間に示談が成立し、日本エレベーターは右各約束手形の支払いをして、右各約束手形を受戻した。

右のように認められる。

証人森田房の証言のうちには、(イ)、右(1)ないし(3)に認定した森田が田中孝子から交付を受けた約束手形は、いずれもその割引を受ける先を限定せず、森田の個人的知合で割引を受けるという約束で交付を受けた旨の証言、(ロ)、右(1)に認定した金額四〇〇、〇〇〇円の約束手形については、手形金額と同額の四〇〇、〇〇〇円全額を田中孝子に交付し、森田が他で右約束手形の割引を受けるについて控除された月六分位の割引料は、森田が負担した旨の証言がある。しかし、(い)、右(1)ないし(3)の各認定にそう証人田中孝子の証言、(ろ)、証人森田房の、田中孝子から初めて原告所持の約束手形の割引について相談を受けた際、田中孝子、田中秀雄ら原告関係者名義の被告の東京支店に対する定期積金、定期預金等が合計五〇〇、〇〇〇円位あるので、これを担保とすれば、被告の東京支店で原告所持の約束手形の割引が受けられるということを述べた旨の証言、(は)、《証拠》を合わせて考えると、森田は、昭和三四年頃から自己の手持金のほか、他から金員を借入れて、これを他に貸付けていたところ、貸付先からの回収ができなかつたため、借入先に対する利息の支払い、元本の返済等に窮して、昭和三九年頃から被告の東京支店渉外係としての職務上被告の取引先から受領した金員、あるいは、被告からその取引先に支払うために受領した金員を横領する等の行為を行なつていたこと、昭和三九年六月頃から昭和四〇年一二月頃までの間に、田中孝子から被告の東京支店への定期積金として受領した金員のうちから、一六回に亘り計九五、〇〇〇円を被告の東京支店へ納入しないで横領していたことが認められること、などに照らして考えると、前掲記の(イ)、(ロ)の趣旨の証人森田房の証言はたやすく信用することはできない。

証人遠藤孝の証言のうち前記(1)ないし(3)の認定に反する部分は、森田房からの伝聞を基礎とするものであることが、その証言自体から明らかであるから、前記認定を覆すに足りない。

他に前記(1)ないし(3)の認定を覆すに足りる証拠はない。

(四)  前記(一)の当事者間に争いのない事実、(二)に認定した事実によると、被告の東京支店の渉外係であつた森田房は、みずから被告を代理して手形の割引契約を結ぶ権限は有していなかつたが、割引契約が結ばれた手形を割引依頼人から受領する権限、および被告の東京支店に取立委任をし、その取立てまでの保管を委託する手形を受領する権限を有していたものであり、したがつて原告の代理人である田中孝子から森田が、前記(三)の(3)に認定した別紙手形目録(四)、(五)記載の約束手形を受領したことは、森田の権限内の行為であり、前記(三)の(2)に認定した別紙手形目録(一)ないし(三)記載の約束手形を受領したことは、森田の権限を超えた行為ではあるが、被告の東京支店が割引くことを約した手形を受領するいう権限内の行為と外形上異るところがないことからすれば、森田が別紙手形目録(一)ないし(五)記載の各約束手形を受領したことは、いずれも被告の事業の執行に付いてなされた行為であるということができる。

(五)  被告は、原告の代理人である田中孝子は、原告が被告の東京支店との間で手形取引契約を結んでいないことを知つていたのであるから、同人が、原告は被告の東京支店で手形割引を受けることはできず、森田に交付する約束手形は、被告の東京支店以外の者によつて割引かれるということを知らなかつたことについては、重大な過失があるから、被告は森田が原告の代理人田中から別紙目録(一)ないし(五)記載の約束手形を受領したことについては、使用者としての責任を負わないと主張するが、証人田中孝子、同森田房の各証言によると、原告と被告の東京支店との間には、直接の取引契約は何もなかつたこと、田中孝子は、原告の経理、会計を担当し、金融機関で手形の割引を受けるには、当該金融機関に割引の「枠」といわれるものをもつていることが必要であるということを知つていたことは認められるけれども、他方、証人田中孝子の証言によると、原告は国民金融公庫から貸付を受けたことがあるほかは、金融機関との間では、普通預金、定期預金、定期積金をしたことがあるのみで、当座預金、手形貸付、手形割引等のいわゆる銀行取引に属する取引契約を結んだことがなかつたため、田中孝子は、いわゆる手形割引のための「枠」がどのようにして設定されるものであるかをよく知らなかつたと認められること、前記(三)の(1)に認定したとおり、田中が森田に約束手形を交付した当時、原告が被告の東京支店で手形割引を受けるについて担保とすることができる定期積金、定期預金等が相当額あつたことを考え合わせると、原告の代理人である田中孝子が原告と被告の東京支店との間に手形取引契約が結ばれていない以上、原告は被告の東京支店で手形の割引を受けられないものであるということを知らなかつたことについて、田中に軽過失があつたということはいいうるが、故意に比肩すべき重大な過失があつたとはいえないから、被告の前記の抗弁は採用できない。

(六)  被告は、森田が田中に対して別紙手形目録(一)ないし(三)の約束手形の割引金の内金を交付した際、残余の割引金の支払いの猶予を求めたのに対して、田中がこれを承諾したから、その後は、残余の割引金については、原告と森田個人間の貸金、または寄託関係に改められたものであると主張するが、前記(三)の(2)のとおり、昭和四〇年一二月二四日、森田が田中に対して別紙手形目録(一)、(二)記載の約束手形の割引金相当額を交付した際、残余の割引金の支払の猶予を求め、田中がこれを承諾したことは認められるけれども、右の事実のみから直ちに、残余の割引金については、森田個人に対する貸金、または寄託に改められたということはできないし、他に残余の割引金について、これを森田個人との債権債務関係に改めるという合意が成立したことを認めるに足りる証拠はないから、被告の右主張も採用できない。

(七)  してみると、被告はその被用者である森田房が、前記(三)の(2)、(3)に認定したとおり、原告の代理人田中孝子から交付を受けた別紙手形目録(一)ないし(五)記載の約束手形を、その交付の趣旨に反して他で割引譲渡したという、被告の事業の執行について行つた不法行為に因つて、原告が蒙つた損害を賠償すべき義務を負つたものといわなければならない。そこで、原告が蒙つた損害について考える。

(1)  前記(三)の(4)のとおり、別紙手形目録(四)、(五)記載の約束手形は、振出人である日本エレベーターによつて、その最終所持人に対して支払いがなされたことが認められ、原告が右各約束手形上の権利を失つたことに対する対価を得たことを認めるに足りる証拠は何もないから、原告は右各約束手形の手形上の権利を失つたことに因つて、右各約束手形の満期日現在において、手形金と同額の三五〇、〇〇〇円の損害を蒙つたということができる。

(2)  前記(三)の(4)のとおり、別紙手形目録(一)ないし(三)記載の約束手形も、振出人である日本エレベーターによつて、その最終所持人に対して支払いがなされたことが認められるが、前記(三)の(2)のとおり、昭和四〇年一二月二四日、原告は別紙手形目録(一)、(二)記載の約束手形の手形金額から、各満期までの割引料相当額を控除した額の金員を受領したことが認められるから、原告は右各約束手形の手形上の権利を失つたことに因つては、何ら損害を蒙つてはいない(手形は、その満期が到来してはじめてその手形金額どおりの価値を有するに至るもので、満期前における実質価値は、手形金額から割引料相当額を控除したものであると解される)というべきであり、同目録(三)記載の約束手形については、前記(三)の(2)のとおり昭和四一年二月八日、原告が割引金の内金として一〇〇、〇〇〇円を受領したことが認められること、および証人遠藤孝、同森田房、同田中孝子の各証言を合わせて考えると、田中が森田に対して右各約束手形の割引を依頼した際に、当時の金融機関における通常の割引料の範囲内である日歩二銭五厘の割合による割引料の支払いを承諾していたことが認められることからすれば、原告は右の一〇〇、〇〇〇円の受領により、別紙手形目録(三)記載の約束手形金のうち一〇一、五七四円に対する日歩二銭五厘の割合による割引料を控除した割引金を受領したことになるから、原告が右約束手形の手形上の権利を失つたことによる損害は、その満期日現在において一九八、四二六円であるということができる。

結論

以上のとおりであるから、原告の本件請求は、右(七)に認定した原告の損害の合計五四八、四二六円、およびこれに対する右損害発生の後であり、本件訴状が被告に送達された翌日であることが本件記録上明らかな昭和四一年七月二四日から完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においては理由があるから、これを認容し、右の限度を超える部分は理由がないので、これを棄却する……。

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